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【アラサー】結婚したいと思うことはいけないことなのか

「どうして君はやりたことがないんだ、君のように自分のない人とは付き合えない」

これは私が昔付き合っていた男性から言われた言葉だ。
当時私は28歳。年を取るのはあっという間だねという話をしていた時だったと思う。これからどういう人生を生きていきたいか、と質問されたとき「結婚して家庭を持って子供を産んで育てたい」と答えたら、このような言葉が返ってきたのだ。

彼は子供のころからの夢だった世界一周を実現させ、日本に帰国したばかりだった。夢を実現させるために何年も前から計画的にお金を貯め、移動手段を調べ、約2年もの間日本に帰らず世界中を旅していた。

そんな彼からすれば結婚を目標に生きる女は皆、人生に目的がなく、無駄に時間を浪費している人間だというのだ。人生をかけて達成したいことがないから、家庭を持ち子供を育てたいと言うのだと。

果たしてそうか。いや、違う。ここの価値観が合わず、結局彼とは別れることになってしまった。
別れて1年以上経つが、いまだに彼の主張は理解ができない。理解しようと何度も思案するが、やっぱり理解の範疇を超えている。

しかし、彼と同じように考える人はほかにもいるのだろう。そんな人からすれば私の結婚願望もやはり理解されないのだろうか。私は20代後半から結婚願望を持ち婚活をしてきたが、結婚したいと思うに至った心情をまとめてみた。

自分のために頑張るのには限界がある

結婚したいと思った一番の理由はこれである。いつぞやテレビでマツコ・デラックスさんも言っていた。
そもそも何も私も最初から結婚したいと思ってきたわけではない。
結婚しない選択もあると思い、女性でも男性並みのお給料を稼げる総合職を選び、多忙だったが一人で生きていくには十分すぎるほどの収入をもらってきた。好きなときに好きなものにお金を使える喜び、自由。でも充実していたのは最初だけだ。

お金を稼ぐために生きているわけではなく、より楽しく生きるために仕事をしているのに、毎日平日は家と会社の往復。
一体何が楽しいのか、本末転倒になっている気がした。お金よりも、楽しいこと辛いことを共有し一緒に乗り越えていくパートナーが欲しいと思った。そのうえで仕事なり、趣味なり自分のやりたいことをやればよい。つまり、自立した生活にも「家庭」という基礎が必要だと思ったのだ。

普通の生活を送る難しさを知った

結婚して家を持って、毎日ご飯を食べ、子供を育てる。一見平凡な生活でも、その平凡な暮らしを送ることさえ一歩間違えれば難しい。もし病気をして働けなくなったら?病気でなくても妊娠・出産で仕事を辞めたら、しばらくは社会復帰は難しい。新たに仕事を求めても前と同じような給料をもらえるかもわからない。このご時世、人手不足だというのに、求められる人材は結局20代ばかりで30歳以降の転職がうまくいくかどうかもわからない。お金を稼ぐのは簡単ではない。実際に社会人になってそのことを知った。だからこそ、その彼が言う「平凡な生活」がずっと送れるだけの努力をこれからも続けていきたいと思うのだ。

責任を負っても良いと思える相手に出会いたい

支えあえるパートナーと出会えたらならば別に結婚という形を取らなくても良いのではないか、とも思うが結婚と恋愛で大きく違う点は相手に対し責任を負うかどうかである。多くの人にとって負わなくてもいいなら負いたくないと思うのが正直なところではないか。「責任を負う」というハードルを越えて一人を選ぶというのは大きな決断だからこそ、そう思える人に出会い、また自分も選んでもらいたいと思う。

家庭を持った上でやりたいことを実現させる

私の願う生き方はこれに尽きる。結婚し、子供を持つことで制限も生まれるだろうが、良いことも悪いことも共有できるパートナーがいればきっと一人の時よりも人生は豊かになるのではないか、と思うのだ。楽しいことは倍に、辛いことは半分に。
だからと言って、結婚が必ずしもすべて良いというわけではない。たくさんたくさん自分と向き合ってその人なりの答えを持つことが一番。結婚して本当によかった、と思えるかどうかは何十年も経って、おばあさんになってからだろうな。そう思えるように生きていこう。