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君の名は。が期待はずれだった件

ついに見てきた、君の名は。

途中泣いたシーンもあったのですが、見終わった瞬間に思ったのは、監督、これがホントに作りたかった映画なんすか?ということ。


新海監督の映画は君の名は。以外何も見ていないし、どういう人なのかも知らないが、新海ファンの中にはこの映画が新海らしくないと言ってる人もいるようだ。よくわからないが、有名な方であろう、新海さんが作りたかったものってホントにこれなのかなぁとふと思った。要は何かが足りてないような気がしてならなかった。



そこで考えてみた。この映画が何故あまり刺さらなかったのか。



1️⃣瀧くんという存在がボヤけている


もうこれや!瀧くんのせいや!三葉については結構時間もかけながら丁寧に彼女の生い立ち、生活、人となりを描いているが、瀧くんに対するバックボーンの描き方は圧倒的に少ない、学校かバイト先くらいの人間関係しかない。瀧くんにも三葉と同じように生い立ちや家庭環境の描写があったほうが良かったのだ。それが結果的に下記2️⃣に繋がる。


2️⃣何故入れ替わりの対象が瀧くんでなければいけなかったのかの描写がない


1️⃣の結果はこの2️⃣に結びつく。宮水家は糸守に長く続く家系で、三葉のお母さんもおばあちゃんも、三葉と同じように夢で入れ替わりをしていたことを示唆するシーンもある。このまちを守るという運命の因果を先祖から受け継いでいる。だがしかし、三葉の入れ替わりは瀧くんでなければならなかったのだろうか?序盤で三葉は、来世は東京のイケメンになりたい!と叫ぶが、共通点は瀧が東京在住であることくらいだ。それであれば、入れ替わりの対象は瀧でなくて、司でも良かったことになる。

ここで是非個人的には相手が瀧である必然性について、描写がほしかった。RADWIMPSだって、前前前世ってあんなに言ってるのだから、前世からの因果を示唆するであるとか、そういうのがあれば、物語全体がもっと印象的になるし、ぎゅっと引き締まる。全然前世関係ないやんとなってしまう。要はなんで瀧やったん、、?瀧その辺の高校生やん?で終わってしまった。なんだか、確かに美味しい料理なんだけど、全体的に味がボヤけてしまって、あと少し醤油を垂らして食べたかったなぁと思わせられる作品だった。


監督はこの映画を通して、運命の人はいるんだよ、出会うべき人はいるんだよ、ということがメッセージの1つだとインタビューで語っていましたが、何故その人でならないのか、と意味を求めたほうがぐっとロマンチックになると思うのは、わたしの頭の中がお花畑だからでしょうか。、